Field of Heaven

短編小説




本当に、自分が自分らしくいられる場所。
いったいどのくらいの人間が、たどり着けるのだろう。

 

鳥は空に、魚は海に。
だけど、翼もヒレも持たないものは、大地で生きるしかない。
空も海もこんなに広いのに、その半分にも満たないところで、みんな所狭しと生きていかなきゃならない。

生まれた場所が、自分の生きるべき場所なんて、誰が決めたんだろう。
おれがわがままなだけかもしれない。何が不満なのか、自分にもわからない。でも、何かが足りない。
どっかのねじがぶっ飛んだ欠陥品みたいに、いびつに動くガラクタだ。

 

行くあてもなく、自分の居場所を見つけられず、たどり着いた先は港町だった。
ここが最終地点だなんて思わないけど、綺麗なものに惹かれるのはおれがそうじゃないからだ。
綺麗で優しいものは誰も拒んだりしない。だから、綺麗で優しくいられるのを知ってる。

 

「毎日来てるよね」

 

後ろから声がしたので振り返る。
砂浜から座ったまま見上げると同い年くらいの男がいた。

 

「海、入らないの?」
「はい」
「なんで?」
「海パン持ってないから」
「そ」

 

隣りに腰を下ろして、サングラスの奥から物珍しそうにじろじろ眺められたので、おれはサングラスをかけて帽子を深く被り直した。

 

「すまん。キモかった?」
「あんま見られるの好きじゃないんす」
「あ、オレも。なんかむかつくよね。でも海見るのは好き。だって海は何も言わないし」
「……変な理屈」

 

朝の海はたいてい人がいなかった。
おれも、この人を知ってる。
何度か、同じ時間に見かけたことある。
いつもサングラスしてて、どんな顔してるのかわからないけど。
おれ自身はサングラスはあまり好きじゃない。
いくら眩しくても、我慢して景色を見る。
その姿が滑稽に映ったのかもしれない。だから話しかけてきたのかも、と。

 

「オレね、人殺してきたんだ」
「は?」

 

男は幸せそうに微笑んで、サーフボード片手に海に入っていった。

 

 

今日も海へやってきた。
やることといえば海を見るか、寝るかしかない。
泊まっているホステルから徒歩30秒のところにあるビーチは、人も少なくて過ごしやすい。
また、あの男が海から上がって話しかけてきた。

 

「はろー。また会ったな」
「こんにちは」
「そういえばまだ自己紹介してなかったよな。オレ、サカキ、よろしく。あんたは?」
「スズモトです」
「スズくんね」
「モトが抜けてます」
「よし、スズちゃん、泳ごうぜ」

 

風になびくほど伸びていない、短かな黒髪。
ほんの少しの無精髭。
陽に焼けた肌。
サングラスの奥の瞳が気になった。

 

「海パン持ってないってば」
「そのままでいいじゃん」
「よくない」
「暑くないのかよ」

 

確かに、ここに来てから一週間。毎日海を眺めるだけで、入ろうと思わなかったのが不思議だ。
でも、まだ、おれはおれのままでいいんだ。

 

 

ナイトクラブは夜を狂わせる。
空気を酔わせて、月をとろけさせる。
昼の気だるい空気とは一変して、寒いくらいの夜風。
でも一旦フロアに入れば上気する頬。

揺れる体、触れる肌、近づく心、一時的な、通過儀礼的な情事。
みんなそれを求めて、精一杯今だけを楽しもうとして、明けない朝を待ってる。

だって、太陽の下は眩しくて、嫌なものも全部見なきゃいけないもんな。
暗闇の中なら何だって許されるものも、光が当たれば一瞬で醒める。
サカキに誘われるままに、なぜかおれはそこにいた。

 

「踊るの好き?」
「飲むだけ」
「女ひっかけたことは?」
「ない」
「口説かれたことは?」
「ねえよ。だってクラブなんて行ったことないもん」
「勿体ねーの。お前だったらオレでも口説きたい」
「どういう意味だよ」

 

チカチカ、チカチカ。
夜の太陽が眩しくて逃げたくなる。
隠してて欲しいのに、明けない代わりに逃げ場もない。
ライトが点いたり消えたり、視界が白と黒の世界に変わる。
眩しさに気を取られてるうちに、手をつかまれて、服を引っ張られた。
言葉がなくても伝わる気持ち。言葉がないから伝わるのか、よくわからないけど。

 

ふと、飲んでいたコロナの瓶が床に落ちた。
ガシャン、と大げさに響いて、それは何かの合図みたいに、やっぱり大げさなほどの口付けを交わした。

壁に押し付けられて、頬、首筋、顎、それまでに充分な数のキスをして、唇には勿体ぶるようなフェイクが入る。ねだるように、じらすように、ゆっくりと。

そのとき、サカキがサングラスを外した。
優しい瞳をしていたな。
そのあとのことはもう、よくわからない。

 

 

潮の匂いのするシーツとか、タバコで焦げたじゅうたんとか、くたびれた一室だった。
テキーラでゆだった体を支えたくて、サカキの首に手を回したら、熱いからだがかぶさってきた。

 

暑くて脳みそが弾ける。

もう少し抱き合っていたいのに、奴が急き立てるから、体を返して楽なようにしてやった。

 

「いいの?」

 

聞くんじゃねえよ。
理性が戻る前にやってくれよ。
そしたら言い訳なんて、いくらでも言えるから。
そんな簡単なことに、理由なんてほしくない。

 

やばい、涙がでそう。

 

 

誰でもいいの?
そう聞いた。

 

誰でもいいよ。
そう返ってきた。

 

このたくさんの人の中で、オレを選んでくれるなら誰でも。
でもあんたは、他の人よりも綺麗だし、可愛いし、寂しそうだ。
話しかければ答えてくれるし、微笑めば微笑み返してくれるだろ?
誰でもいいけど、オレにだって選ぶ権利はある。
人よりも見目がいいのはわかってるし、不自由してるわけじゃない。
誰でもいい中で、選ばれるってことは、つまり、ええと……――

 

疲れと痺れの狭間で、背後から声が聞こえる。
ぼそぼそとフランス語のように、くぐもってはっきりしない発音で囁きかける。
とろりとしたことばが、後頭部から前頭葉へ徐々に浸透する。

 

誰でもいいし、どこでもいいし、何でもどうにでもなる。

 

力の抜けた体を起こされて、もう一度貫かれたら、呼吸の音とか、強く抱きしめられる感触とか、遠くにあったものが近くなるから不思議だ。
こんなに近くにあるのに、ただ生きてるだけじゃわからないんだ。

誰でも、どこでも、どうでもいいわけじゃない。
命燃やして生きてる限り、必ず証はついてくる。
その瞬間を、一人でも多くの人に知ってもらいたいのか、みんな。

 

 

夜中、酔いが醒めるのが怖くて、強い香りのするワインを飲んだ。
ついでに、ポケットの中でくしゃくしゃになったタバコに灯をつけた。
隣のサカキはいびきをたてて寝入っている。
このまま帰ってしまおうか、そう考えた。
すべて夢だったと錯覚していたい。だって、触れ合えたその一瞬だけが欲しかったんだから。

 

体を動かすと、そのたびにベッドがきしんだ。
サカキを確認したけど起きてはいない。
ジーンズを履いて、ベルトを締めて、サカキの隣りに散らばったTシャツに手を伸ばす。
すると、突然腕をつかまれて胸の中に収まった。

 

「ここにいなよ……」

 

夢うつつでつぶやくから、真意かどうかはわからない。
声色も眠たいのか誘っているのか、どちらともつかない。

でも、暗闇の中でうっすらと目を開けてみつめるサカキはどうしようもなく愛しくて、手に持ったTシャツを投げ捨てて、また彼にキスをした。
何度もキスをしてはみつめあった。
明日が怖くなるくらい、何度も何度も。

 

 

淫らに喘いだあとは、鏡なんて見たくない。
当然、昨日の匂いが残る顔で、おはようなんて言いたくない。

今日が明けてゆくのを肌で感じて、まだ薄暗い空気の中をひとりで歩いた。
半ば逃げ出すように、ろくにファスナーを閉めないで、ボタンを留めないで、靴ひももほどけたままで、海沿いの道を歩いた。

 

重いからだが、昨日の出来事を思い起こさせる。
部分に走る痛みが、ある種のシグナルとしておれを支配する。

何がしたかったんだろう。
おれは、彼は、何がしたかったんだろう。
きっと、そんなに寂しいわけはないのに呼び起こすようなことをするから、耐え切れなくなる。

 

あたたかいこと。
気にかけてくれること。
本当はさみしかったのを思い出す。
知りたくなかったけれど。

 

 

「うす」

 

聞き覚えのある声に返事は返さずに、視線だけで追った。

 

「ちゃんと帰れた?」
「見ての通り」

 

サカキはおれを見て微笑むと、それ以上は話しかけてこなかった。だから二人砂浜に座って、波の音を聞いた。
こうしていると、すごく平和だ。
目前に海。それも極上の。
ここは世界で一番綺麗な海。
だからおれはここにきた。

 

となりを見ると、サカキがこっちを見ていた。
見つめ返すと、軽くキスをしてくれた。
彼の顔、おれ、好きだ。
優しい顔。傷ついた顔。
どちらともとれるずるい顔。

 

「人を殺したって、ほんと?」
「何で?」
「自分で言ったんじゃん」
「知りたい?」
「……」
「オレんち来てくれたら教えてやるよ」

 

あの場所にはまだ戻りたくない。
今行ってしまえば、とても簡単なことになってしまう。
もっと手に入れがたいものじゃなくちゃ。
いつでも手に入るなんて、そんなばかげたことにしたくない。

 

「別にいいや」
「そうでなくっちゃ」
「何が」
「お前は」

 

冷めた目をしてみる。
少し目線を外して、何秒後かに盗み見てみる。
それでも目が合ったから、おかしくて笑う。
そのときの彼の目はとてもやさしい。
受け止めてくれる瞳があるならば、おれはいつだって――

 

「笑顔」
「ん?」
「かわいい」

 

おれはいつだって、きみに笑いかけよう。

 

 

海の中、熱い体が静まるまで、波に打たれた。
流されそうになる体が、疲れ果てた心とシンクする。
そのとき、隣にいるこの人の存在に気付く。
広い海に取り残されそうになるとき、手を伸ばして手繰りよせてくれるこの存在。
目の前の手のひらがどんなに心強かったか。
仮に、おれがこわくなくても、その存在があるだけで救われる気がする。
そう、おれが思ったことで、きっとこの人も救われるのだろう。

 

 

足りない者同士が集う場所、それがここ。

 

きみが何者でも構わない。
笑顔を向ける相手がいるのなら、なんだって構わないんだ。

 

きみだって、誰だって、そうだろう。

 

↓ランキングに参加していますので、読んだよ、という方は押してくださると嬉しいです^^

にほんブログ村 BL・GL・TLブログ BL小説へ

【おわり】

 




 

タイトルとURLをコピーしました