くまの熊野・2

くまの熊野

くまの熊野・2

 

 殺風景な俺の部屋には不釣合いなくまのぬいぐるみ。それは俺が買ったものではなく、卒業記念に「おれだと思って可愛がってあげてください、へへへー!」と熊野からもらったものだった。実家から引っ越すにあたって、なぜこれを持ってきてしまったのかはよくわからないが、俺にとって大切なものだったのは確かだ。

 そんなくまのぬいぐるみ。何の変哲もないくまのぬいぐるみなのだが。

 

「熊野!? お前なのか!?」

「そうだよー! 先輩、大丈夫だった? 痛いとこない?」

「熊野……」

 

 熊野を抱きしめて俺は泣いた。胸の中でじたばたしていた熊野だったが、俺が泣いているのがわかると大人しくなった。

 

「ばかやろう……何でお前が死ななきゃならなかったんだよ! 何で俺のこと庇ったりしたんだよ! 何で……」

「せんぱい、悲しませてごめんね」

「どういうことか説明してくれ! 何でお前がくまのぬいぐるみなんだ!?」

「うんとね、あの事故でおれは死んじゃったんだけど、神様に、このままいくとこの世への想いが強すぎて自縛霊になって彷徨さまようことになるって言われちゃったんだ」

「自縛霊?」

「そう。普通の魂は死んだら天国に行って安らかに暮らせるんだけど、自縛霊になっちゃうと成仏できないから、この世をただ見てるしかないんだって。それってすごく辛いことみたい」

 

 自縛霊ってよく心霊写真にムンクみたいに顔うにょーんって伸びてるやつか? 怖いあれか? 熊野があんなもんになっちゃうのか?

 

「何で自縛霊なんかにならなきゃいけないんだ!? 自縛霊ってこの世に未練があるときになるんだろ? 俺のこと、恨んでるのか?」

「ち、違うよっ! 未練があるのは本当だけど、おれがせんぱいを恨むなんて絶対ないよ!」

「恨まれてもいい。お前になら恨まれてもいいよ……」

 

 また涙が滲んできたが、それを熊野は優しく拭ってくれた。ほわほわのぬいぐるみの手は、体温がないのに温かい気がした。

 

「でも、おれ自縛霊でもいいよって言ったんです。この世にいられるならどんな形でも構わなかった。やり残したこと、ひとつだけあったから」

「やり残したこと?」

「そう、それだけは譲れなかった。そんな頑固なおれに神様の方が折れてしまって、やり残したことが終わるまで、魂をこの世に留まらせてくれることになったんだー! でも実態がないと不便だからこのぬいぐるみを借りました」

「そのやり残したことは、くまのぬいぐるみでもできることなのか?」

「できると思う。別にぬいぐるみじゃなくても、大根でもテレビでも大丈夫だよ。ただ、この世で生活するのに大根だと腐っちゃうしテレビだと動けないでしょ。手足があればまあ、たいていのことはできますから。欲を言えば、せんぱいの部屋に人体模型かマネキンがあればよかったんだけど」

「いや、くまのぬいぐるみで良かったほんと」

 

 これでだいたいの流れはわかった。普通の俺なら、幽霊とか神様とか何言ってんだダアホ、となるところだが、人間、わらにもすがりたいときは何だって信じてしまうものだ。どんな形であれ熊野が戻ってきたことが嬉しかった……と、安心したところで腹が鳴る。

 

「せんぱいっ、おれ何か作りましょうか?」

「え、ええ?」

「料理は得意だって言ったでしょ! ちょっと冷蔵庫の中見せてもらいますねー」

 

 俺の返事を聞かないまま、とととーっとキッチンへ走っていった熊野のあとを着いていくと、冷蔵庫を覗き込んでうなっている熊野がいた。

 

「せんぱい、水しか入ってないよ」

「あ、ああ。俺、料理しないから」

「買い物、行きましょう!」

「熊野も行くの?」

 

 

「ママー、あのお兄ちゃん、くまさんしょってるよー、変なのー!」

「こら! そういうこと言うんじゃないのっ」

「ねえ、あのお兄ちゃんのくまさんかわいいねー」

「そ、そうね。でも、あまり大きな声で言っちゃだめよ」

 

 大の大人がくまのぬいぐるみをリュックからわざわざ顔のぞかせてスーパーに持参したら、後ろ指差されて笑われることはわかっていたさ。不審者扱いされることは百も承知。俺だってそんな奴いたら、ウィルスがなくてもソーシャルディスタンスを保って買い物するだろう。でも、熊野のためなら羞恥心なんて何のそのだ。

 

「だって、おれ心配なんだよ。またスリップした車に追突されるんじゃないかって。でもおれが見張ってればすぐ気付くでしょ?」

「その通りだ、ありがとう熊野。でももうスーパーに着いたから安心だ。もうファスナー閉めていいか?」

「ええーダメだよー。スーパーに変な人がいるかもしれないでしょ? 背後から襲われたらどうするんですかっ」

 

 変な人ならここにいる。俺だ。

 明日から近所のちびっ子たちには「くまのお兄ちゃん」と呼ばれることになるだろう。そして、いつも挨拶してくれるおばさんたちとは気まずい空気が流れるだろう。……でも、平気だ。熊野がいない悲しさよりかは何百倍もマシだ。

 

「せんぱい、新鮮な魚は目の澄み具合でわかるんですよー」

「そ、そうなのか?」

「あとね、野菜の選び方はあ……」

 

 買い物が終わると、もう夜になっていた。「寒いなー」と言い合う帰り道、あの道を通ると花がたむけられていることに気付いた。俺は頭を打って気を失っていたので、あの事故から何気に三日経っている。三日経った今でも、雪は溶けずに氷となってあの時のことを思い出させた。

 ふと、スーパーの袋の中からジュースを取り出すと、花の隣に供えて手を合わせた。後ろを向いていた熊野が、いつの間にか俺の首の隣から顔を出していることに気付く。

 

「ねえ、せんぱい、おれはここにいるよ」

「……そうだな」

 

 俺とは対照的に、くまの顔が優しく微笑んだ。

 

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