無常の花・11

無常の花

無常の花・11

【第二章 鏡花水月 ~惑う花~ 第四話】

 

その後自宅に戻ると電話で貴洋の具合を確認した。殴られたのは顔だけで、骨折などはしていないようだ。

 

「歯入れ替えたらさ、昨日まではすげえ腫れてて、しゃべることもできなかったんだけど、もう大分良くなったよ。親知らず抜いたときの方が痛かったかな」
「そうか、良かった……」
「それより優樹……あいつ、どこの病院に行ったか分かる? 救急車で運ばれてはないんだよな? お前が連れてったのか? に、しては、すぐ戻って来たけど……」
「あ、えーと、あのとき言い忘れてたけど、孝太は心配するほど重症じゃなかったんだ。ちょっと大袈裟に反応してみただけみたい」
「えっ? マジで?」
「うん」
「良かったあ。それを早く言えって。俺、それだけが不安だったんだ。じゃあ、これであいこだな。ああ、本当良かった。俺さ、最悪刑務所生活も想定してたんだぜ? そうなったら、優樹に脱獄の手伝いしてもらおうかと思ってた」

 

今までと一変して、明るい声で冗談を言う貴洋にホッとする。どうやらごまかせたようだ。

 

「じゃあさ、せっかく大学を堂々と休めることだし、どっか行かねえ?」
「マジで? 貴洋怪我してるじゃん」
「顔だけだし。たまには二人でゆっくり温泉にでも行こうぜ」
「でも……」
「俺のいないところで、あいつがまた来ないか心配なんだ。な、行こうぜ」

 

孝太は重傷で動けないから来るはずがないとも言えず、貴洋の言うとおりにすることにした。宿の予約の手配は貴洋がしてくれるとのことだ。
まあ、この状況を少しでも楽しもうと言ってくれたことは、おれの救いにもなった。もともと行動派な貴洋は、早速「明日の予約が出来たから」という連絡をしてきた。急だなとは思いつつも、気持ちが塞ぎこんでいるよりかはいいか。

 

 

「さ、優樹乗れよ」

 

貴洋が自分の車で迎えに来てくれた。
箱根の旅館を予約してくれたらしい。
それにしても、貴洋の絆創膏だらけの顔が見るからに痛々しい。安静にしてた方がいいんじゃないかな。

 

 

「運転、疲れないか? おれ、ペーパードライバーだから代わってあげられないよ」
「大丈夫。何かに集中している方がキズも痛まないんだ」
「でも……」

 

 

やっぱり、行くのをためらってしまう。
何かの拍子に、孝太の傷のことも話してしまうかもしれないし。

 

「なに、替えのパンツ用意してないのか?」
「ばっ、違うよ! そんなに無理しない方がいいんじゃないかと思って。傷に障るだろ」
「お前といた方が治るんだよ。だから、人助けだと思って行こうぜ」

 

返す言葉もなく、助手席に乗り込んだ。
東京から箱根まで2時間。車の中で音楽を流しながら、たわいのない話を繰り返す。

 

「あいつらからメール来てる。映画のワンシーンかと思ったって。ははは」
「貴洋が降りる前に、おれが早く行けばよかったんだよね」
「遅かれ早かれ、あいつとはタイマンはらなきゃ気がすまなかったんだよ。だからもう気にするな」
「そういえば、まゆちゃんはなんか言ってた? 停学のこと……」

 

貴洋の彼女のまゆちゃんは、優しくて女の子らしい子だ。
当然、停学なんて聞いたら心配するだろう。そうしたら、おれが謝るつもりだった。

 

「別れた」
「え? いつの間に? あんなに仲よかったのに……」
「色々あるんだよ」
「え、あ、ごめん……」

 

貴洋は横目でこちらをみていた。

 

「それって、何のごめん?」
「へ? 何のって……聞かれたくないこと、おれ、無神経だったなって」
「はは、そうだな、優樹は確かに無神経だよな」

 

棘を含んだような声色だったけど、いつもの貴洋の笑顔がみれたので、特に気にすることなく次の話題へ移っていった。

箱根では芦ノ湖に行ったりロープウェーに乗った。
けれど、どことなく貴洋の表情が固いのが気になる。
話しかけても上の空だし、かと思えば凝視してくる時もあり、やっぱり傷の具合が悪いのかと心配になった。
そりゃそうだ。だって、歯が折れてたんだもの。顔だって腫れている。

そろそろ日も暮れて来たので、仙石原のススキ草原へ行って宿に戻ることにした。

 

「うおっ」

 

草原に着くとすごい風にひるんだ。
限りなく続くススキの大地、黄金色のじゅうたんに感動する。
キラキラと夕日を受けて輝くススキ草原は、この世のものではない光景だった。

 

「すごい」
「時間もちょうどいいな。ここから見る夕日、すげえらしいぞ」

 

人は思ったよりまばらで、遊歩道を歩いていると世界におれたちしかいなくなってしまった感覚になる。延々と、風が吹きすさぶ音が耳をかすめた。

 

「覚えてるか? 俺とお前が初めて会った時のこと」

 

唐突に貴洋が口を開いた。
目を細めながら、遠くの夕日を見つめている。

 

「はは、覚えてるよ。経済マーケティングの講義で隣だったよね。そんで貴洋が声をかけてくれたんじゃないか」
「実は、前から知ってた」
「え、そうなの? そんなこと一言も」
「お前のことは前から知ってた。何だか知らないけど……。ずっと、何でなんだろうって思ってたけど、最近わかってきたんだ」
「へえ?」

 

おれがとぼけた声を出すと、貴洋がこちらを向いた。
なぜか「何でだったの?」と聞けない自分がいた。
その空気に耐え切きれなくて、誤魔化すように、やり過ごすように、夕日の美しさに見とれているふりをする。

昔の思い出。
貴洋と出会う前、おれには気を使いながら過ごす友達しかいなかった。
でも、貴洋だけが正直に向き合ってくれた。
おれがボケてるとことか無神経なとことか、遠慮なく言ってくれるその性格に救われていた。
それでも本当は優しくて、だからこそ友達でいたいと思ったんだ。

最後の残光が山の端に消えていった。
その向こうで橙と紫のグラデーションが空を彩る。さらに見上げると、深い藍色の中浮かぶ星たちが、ほのかに瞬いていた。

 

「優樹は俺と出会って、よかったって思う?」
「何言ってんだよ。思ってるに決まってるじゃん」
「そっか、良かった。あいつから守ってやれなかったから恨んでるんじゃねえかって、あの日、力づくで一緒に帰っていればって……ずっと思ってたから」
「何で貴洋がそんなこと思うんだよ、悪いのはおれなのに! ほら、こんな誰もいない暗いとこにいるからそんなことばっか考えちゃうんだよ! もうご飯でも食べよう。な?」

 

そううながして車まで戻ると、いつもの貴洋に戻った気がした。
いつも冗談や毒舌ばかりの貴洋が、違った言葉を口にするとどうしていいのか分からなくなる。
暗くて細い夜道を、すいすいと運転する。
宿はここから車で10分ほどのところだから、もうすぐだ。

 

「そういえば貴洋、停学のこと親に叱られなかった?」
「怒られた。またか、何やらかしたんだって」
「おれ、今度謝りに行くよ」
「いいよいいよ。だって、綺麗な景色見て、となりで優樹は笑ってて、俺、今すげえ幸せなんだもん」

 

楽しいはずなのに切ない気持ちになったのは、きっとこの街の明かりのせい。誰も通らない静けさのせいだと思っていた。

かなり暗くなってきた頃、旅館へたどり着いた。
部屋に案内され、食事の時間などの説明を受けたあとは、豪華な和室からの景色を堪能する。

 

「すごい良い部屋だな」
「まあ平日だし、これでもそんな高くはないんだぜ」

 

貴洋が得意そうに言う。窓から見えるのは雄大な山々と眼下に広がる渓流。朝見たらもっと綺麗だろう。
おれが窓を眺めていると、貴洋は一回点けたテレビを消して立ち上がった。

 

「俺、風呂行くけど、行く?」

 

その動作は何気なかったけれど、顔は何だか緊張した面持ちだった。強張った空気に負けて、おれも緊張を隠せなかった。

 

「あ、うん。でも、おれもう少し景色見たいかも」
「そうか、じゃ俺行ってくる」
「あ、えーと、あとから行くから」

 

自分の言葉に嫌になる。何かよく分かんないけど、意識してるのかもしれない。
え? 何でおれが貴洋を意識しなきゃいけないんだよ。おれのバカ。こっちが変な空気出してるから、きっと貴洋も緊張してんだよ。

少しの葛藤の末、洋服を脱いで浴衣に着替えると浴場へ向かった。
夕飯前とあって脱衣所にはけっこう人がいた。若い人はいない。平日なので、もう定年したお年寄りばかりだ。

 

「あれえ、学生さんかね? 学校は休みなのかい?」
「あ、はい」
「そうかい。仙石原には行ってきたかね?」
「行ってきました。おじいさんはこれから行かれるんですか?」

 

話しかけられたおじいさんと意気投合し浴場に入ると、貴洋を探した。貴洋は髪の毛を流しているところだった。

 

「おじいさん、友達の貴洋です」

 

背後でそう言われて、貴洋は驚いた様子で振り返り、顔を拭った。

 

「え、誰、優樹」
「おばあさんと旅行に来たんだって」
「はあ、それはそれは。足腰に気いつけて下さい」
「ふぉふぉふぉ」

 

先に来た貴洋は、体を洗い終わっていたので露天風呂に入りに行った。
おれはおじいさんの背中を流してあげながら大浴場で話をしていたが、ふいに貴洋が火照った顔でやってきた。

 

「俺、もう上がるから、鍵くれ」
「貴洋、のぼせたんじゃないか?」
「ちょっとね。あっちの露天はすげえ熱くて……」

 

ふらふらした足取りをする貴洋のあとを着いていくが、今に倒れるんじゃないかと心配する。
脱衣所には誰もいない。ポタポタと滴る雫が床を濡らしてゆく。
湯気から解放された身体はあらわになり、お互いの視線がぶつかった。
貴洋の持つ、細いけど付くべき所に筋肉が付いている均整のとれた体は、おれが目指す体そのものだ。腰に巻いたタオルで少し隠れてはいるが、腹筋も割れている。

 

「はい、鍵……」

 

鍵を渡した瞬間だった。
熱いからだが薄い皮膚に触れる。鼓動が伝わるくらい思いきり抱きしめられた。
おれの耳元で大きなため息が貴洋から漏れる。
ドクドク、ドクドクと、大きく脈打つ胸のリズムは、肩まで動きそうなほど、そしておれの心を揺らすほど激しかった。

 

 

「優樹、俺、すごいつらい……」

 

 

のぼせていないはずのおれの心臓が、早鐘を打つように鳴った。
貴洋と同じくらい鳴っていたことだろう。

 

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