無常の花・13

無常の花

無常の花・13

【第二章 鏡花水月 ~惑う花~ 第六話】

 

「孝太?」

 

同じトーンでおれも返すと、クスクスと笑う息づかいが聞こえた。

 

「やっぱり優樹だ。あのヤブ医者、もったいぶって教えてくんなかったんだ」
「腹は大丈夫なのか?」
「おう」
「本当に?」
「不便なことと言ったら、話すのに力が入らないくらいかな」

 

そのせいできっと、言葉が柔らかく聞こえるんだろう。風に吹き飛ばされそうなほど弱々しい声。重しをつけとかないと、舞い上がってしまいそうなくらいだ。

 

「それと、花をありがとな。花もらったのなんて、初めてだ」

 

受話器の向こうで、その花に微笑んでいる孝太の顔が浮かんだ。良かった。喜んでくれてたんだ。

 

「オレさ、花好きなのかも。腕にも彫ってあるんだ、桜と牡丹。でもこの花は初めて見たけど、すげえキレイ。名前何て言うの」
「彼岸花だよ」
「へえ、あんま店でみかけないけど」
「毒があるからかな。それはおれが摘んできたんだ」
「どこに咲いてたの?」
「一昨日、父さんと城ヶ崎に行ったときに見つけたんだ」
「親父とか……。いいな、オレも見たかったなー」
「海もさ、キレイだったよ」
「……親父と海か。行ってみたかったなー」

 

孝太が少し憂いを含んだ声になった。おれは悪いことを言ってしまったんだと、慌てて口をつぐむ。

 

「優樹」
「な、なに」
「オレなー、可哀想な奴なんだよ。でも、本当のこと、誰にも言わないでここまできたんだ」
「……」
「だって、話す相手なんて一人としていなかったから。こんなオレに、手を差し伸べてくれる奴なんていなかった」

 

ざあざあ、ごおごおとしぶきを立てて下る水流。
今の孝太の声はかき消されてもおかしくないのに、おれにはちゃんと聞きとれた。

 

「でも、もし良かったら、優樹に聞いてほしい。少しずつでもいいから、聞いてもらいたいんだ」
「……キズが治ったら聞くから。だからちゃんと治して。無茶しないで、大人しくしてるんだよ」

 

 

あの花が散ったとき、また孝太は悲しむだろうか。
花が散る頃、貴洋とお見舞いに行こうかな。心細くないように、そんな寂しげな声出させないように。
きっと貴洋だって、本当は孝太のこと嫌いじゃないと思うんだ。

 

 

部屋へ戻ると、煙草の煙が充満していた。貴洋が窓際の椅子に腰かけてプカプカと煙を吐いている。
おれが煙草の煙が苦手だと漏らして以来、二人きりのときは吸うのをやめてくれていたが、今日は酒も飲んで気分も良さそうだったし、吸いたくなったのかもしれない。「起きたんだ?」とおれが声をかけると貴洋が煙草をくわえながら振り向いた。

 

「どこ行ってたんだ」

 

その声は、煙草をくわえることによって何かを抑制しているかに聞こえた。何だろう、この不穏な響きは。

 

「外に行ってた」
「何しに」
「電話しに」
「……誰と?」
「え、ええと、親と……」

 

貴洋はゆっくりと、煙草をねじ消した。焦げ臭い匂いが辺りに漂う。

 

「いつからあいつがお前の親になったんだよ」

 

煙草の箱を机に投げつけ、貴洋はおれの前に立った。

 

「俺言ったよな、あいつとはもう関わるなって。番号も消したよな? 何で知ってんだよ、何で話してんだよっ」
「それはっ……いてっ」

 

浴衣の襟を掴まれ、激しく布団に倒された。ぶつかった腰と肘が痛い。それでも貴洋は、容赦なくおれを組み伏せた。

 

「やっぱアレなのか、一回ヤると情でも移るってか? あんな奴に取られるくらいだったら、俺がもっと前にヤっちまえば良かった」
「た、貴洋、痛いよ……」
「俺はな、お前が好きなんだよっ、それを、出会って一週間かそこらしかたってない野郎に、みすみす渡してたまるかっ」
「んっ……」

 

大嫌いな煙草の味の口づけ。涙が流れたのは、そのことだけじゃなかった。
進入してくる舌に必死で抗い叫んでも、貴洋は聞き入れてはくれない。

 

「貴洋! やめろっ」

 

揉み合って乱れた浴衣は帯が緩んではだけていた。熱い身体には汗が浮かび、上がった息は胸を上下させる。
おれを見つめる貴洋はやっぱり悲しい眼をしていて、いつかの孝太を思い出させた。

何でみんな、苦しい想いをしてまで人を傷つけなきゃいけないんだろう。そこまでしたからって、手に入るものなんてほんの少ししかないのに。

貴洋の手が下半身に及ぶと、おれはますます大きく抵抗を試みた。
忘れたくないお前との日々が、全部全部消えてしまう。今までも、これからも――。
無我夢中で貴洋の腕に噛みつくと、驚いた貴洋が力を緩めた。その隙間からするりと抜けて、旅館の廊下を裸足で駆けだす。

風とともに涙が舞ってゆく。スローモーションのように、一瞬のあいだ宙に浮かび、ひらりひらりと飛んでゆく。そのあとは知らない。ポタリと地面に落ちてゆくのだろうか。おれの後ろをポタポタと、悲しみがついてまわるように。
共用の洗面所にたどり着くと、鏡にはひどい顔が映っていた。
おれは初めて、自分の顔を醜いと感じた。こんなひどい顔はいらない。こんな顔があるから、みんな女としてしか見ないんだ。
本当の友情なんて、愛情なんて、どこに行けば見つかるんだよ。

 

「ちくしょうっ……」

 

拳で力一杯自分を叩き割る。
ガシャン、と大きな音が鳴り、虚像が崩れていった。ザクリと刃が食い込み、赤い血が手のひらを濡らす。
どこからか悲鳴が聞こえて、ざわざわとうるさくなった。取り囲む人々をうつろに見つめ、この人たちは何やってんだろうと不思議に思った。

 

「優樹、すまない……」

 

気付けば貴洋がそばに立っていた。
ごめん、俺が悪かった、もうしない、二度としない。
貴洋は周りの目なんておかまいなしに、ぎゅうと抱きしめて延々とその言葉を繰り返していた。

 

「お前と友達でいたかったのに……」

 

おれはその背中に傷ついた右手を回して、さめざめと泣いた。

 

 

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