無常の花・18

無常の花

無常の花・18

【第三章 落花流水 ~堕ちる花~ 第四話】

 

孝太の住むアパートは目黒にあった。二階の一番奥の部屋。築何年かは分からないが、塗装を見る限りそんなには経ってなさそうだ。
春山、と書かれた部屋の前で立ち止まると、電話をすることを思い出し孝太へコールする。しかし、出ないので留守電に着いたことを入れ、部屋へ入った。

緊張する。扉を開けると孝太の匂いがした。煙草の匂いと、少しばかりの香水の香り。
六畳ほどの和室には何もなかった。ガラリとした、何もない孝太の部屋……からっぽだ。あるものは机と、その上に置かれた灰皿。生活感がまったくない。タンスすらない。

押入れを開けると、下にプラスチックのケースがあり、くしゃくしゃに丸めた服が詰まっていた。
必要なものはなんだろうか。やっぱり下着かな。夜になると冷えそうだから、ちょっと羽織れるもんも欲しいかも。その他は着替えやすそうなものがいいよな……。

皺をのばしてたたみながら、持ってきた紙袋に入れていく。黒い服が多かったけど、おれはあえて明るい色を選んだ。色からでも元気になるって心理学の講義で習ったことがある。

ケースを探っていくと、女物の服や下着も混ざって出てきた。スケスケのハデハデだ。
……えーと、見なかったふりをしよう。彼女と別れたのかな。返さなくていいのかな。それともあえて持っているんだろうか。
そりゃそうだよな。おれを好きって言ってもゲイじゃないんだし、彼女もいるよな。孝太も貴洋も、それでも何でおれのこと好きだなんて言うんだろう。おれのどこがそんな……。

そのとき、玄関につながる戸が風でガタガタ鳴った。
窓は開いていないのになんで?
振り返ると、ガラリと音が聞こえ、孝太がいた。

 

「え……どうして……」
「どうしても」

 

ひょこひょこと足を引きずり、近づいてくるので肩を貸した。

 

「ダメだろ。来たりしちゃ」
「刈谷は今は平気だよ。事務所に行ってるから」
「でもケガしてるじゃん。外出したりしちゃダメだろ」
「足引きずってでも会いたいって言った」

 

孝太に強く抱きしめられた。サテン生地のスカジャンが、頬に冷たく触れる。

 

「……悪い。嫌がることしないって昨日誓ったばっかなのに」

 

慌てておれから体を引き離す。肩に置いた手のひらすら、そのポケットに突っ込んだ。
抱きしめられて、激しい衝動が胸を揺らす。ぐらぐら、ぐらぐらと、平静を保っていられない。

 

「孝太が嫌がることしないって言ったとき……嬉しかったんだ。おれのこと考えてくれてるって」
「うん。ごめんな……」

 

孝太はまた少し、おれと距離をとった。やばい、そうじゃなくて。

 

「オレは、優樹がいてくれるだけで……」
「でも、すごいがっかりした……」

 

言葉が重なった。孝太は目を丸くしている。
おれは続けて「おれ、おかしいかも……」とごにょごにょとつぶやいた。何言ってんだろうと自分で思って、とっさにしゃがみこむ。恥ずかしくなって言葉に詰まり頭を膝に埋めて、言ってしまったのを後悔した。

がっかりしたって、何だよそれ。こんな感情持ってるって知られたらきっと呆れられる。孝太はおれのどこ好きになってくれたのか分かんないけど、少なくともこんなおれじゃないはずだ。幻滅されるよ。さっき、手が離れたときだって、自分でたぐりよせたかっただなんて、そんな浅ましいこと……

 

「優樹」

 

耳元を孝太の声がくすぐった。

 

「優樹、顔あげて」

 

おそるおそる目だけ出すと、孝太の表情をうかがった。孝太はいつも通り……いや、いつもより少し目を細めて、眩しそうにおれを見つめていた。やっぱり恥ずかしくてまた顔を伏せる。
しかし、孝太の手がおれの腕を開かせた。両手の自由を奪われて、無理やり顔を上げさせられた。

 

「嫌じゃないの? オレのこと」
「うん……」
「抱きしめても? キスしても?」
「多分……」
「多分じゃ分かんない」

 

真剣に見つめる孝太に、何をすればいいのだろう。おれは孝太に近づいた。
唇と唇がかすめる程度のキスだったけど、触れ合う瞬間はスローモーションのよう。孝太が目を閉じていく一コマ一コマが鮮明で、おれの脳裏に焼きついた。

捕まれた両腕が熱くなっていく。おれの体温か、孝太の体温かは分からない。
気付いたときには、百草の香りに包まれていた。畳の上に二人、火照った身体をもて余し、何度も角度を変えては深く口づけを交わす。
いつからこんなに触れられたいと願っていたんだろう、恋しいと思っていたんだろう。

 

天井を見つめていた

 

地面に叩きつけられ つぶれた柿の実
その匂いに誘われて 鳥たちがやってくる

 

落ちた果実は甘いのだろうか
べしゃりと広がり 汁がしとどに溢れ 腐ってゆくから甘いのだろうか
それとも 甘いから腐ってゆくのだろうか

 

一心不乱に舐め上げ 吸い上げ
貪られるその姿
口は艶めいた露で濡れ
乾ききらないうちにまた その実をついばむ

 

――なあ孝太 そんなに美味しいか?

――美味しいよ

 

息を切らした孝太が瞳で答えた。

 

その手は、甘い蜜に群がる虫のようだ。ぞわぞわと這いまわっては快感で支配する。
どうせなら味わい尽くしてほしい、身体をくねらせてそんなことを思った。

むきだしの孝太の腕には桜と牡丹が描かれていて、おれは大人しくその腕に収まっていた。ゆっくりと感触を確かめるように体を触って、顔をうずめてくる。

そんな孝太を抱きとめて、おれも彼の肌のにおいを嗅いだ。薄く煙草の匂いがする。少し舐めてもみた。熱い体温が舌に触れた。

あんなに嫌いな煙草の香りも、味も、孝太のものだと思えば全然嫌ではなかった。むしろ、酔ってしまいそう。

 

やばい、好きかも。自分で思っているよりもずっと好きだったのかも。
自分の下半身に熱が集まるのを感じた。孝太の気だるい表情や動作にどきどきしてたまらない。そんな顔で見つめられたら止まんないよ。

 

時が経つにつれ荒い息が空間を満たし、どんどん激しさは増していった。

孝太のしたたる汗を受け止め、おれは淫らに喘いだ。自分が自分じゃないみたいに、恥ずかしいくらいに吐息を漏らし、言葉にならない声で叫んだ。

 

でも、孝太にならこんな自分を見られてもいい。安心して乱れていく、溺れてゆく。
傷ついた子供のようだと思っていた孝太は、やっぱり自分より年上の男で、いつも見せる無邪気な笑顔も、この場ではおれを誘う妖艶な微笑みに変わった。

 

墜ちていく瞬間だった。

 

 

タイトルとURLをコピーしました