無常の花・8

無常の花

無常の花・8

【第二章 鏡花水月 ~惑う花~ 第一話】

 

祗園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらはす

おごれる人も久しからず
唯春の夜の夢のごとし
たけき者も遂にはほろびぬ
偏に風の前の塵に同じ

 

現代語訳

祇園精舎の鐘の音は、諸行無常の響きがある。
沙羅双樹の花の色は、盛んな者も必ず衰えるという物事の道理を示している。
おごり高ぶっている人(の栄華)も長く続くものではなく、まるで(覚めやすいと言われている)春の夜の夢のようである。
勢いが盛んな者も結局は滅亡してしまう、まったく風の前の塵と同じである。

 

なぜこの文が浮かんできたのかわからない。
戦国時代はもう終わった。この現代社会で向かう敵なんていない。だから、孝太たちを見ていると、生まれてくる時代を間違ったんじゃないかと思う。領地を広げていく戦国大名と重なる部分がある。

けれど、栄枯盛衰という言葉通り彼らの時代は過ぎた。
そんなこと、現代社会ではまかりとおるわけもなく警察に逮捕されるのがオチだ。それでも、なぜ彼らは存在しているんだろう。裏の世界で、一般人の目に触れることなく、こんなに激しい戦いを繰り広げているんだろう。おれにはわからない、わかるはずもない。

そんなまどろみの中、おれは疲れた体を横たえ、もう一度眠りについた。
ご飯も食べずに眠り続けて、起きたときにはもう日は暮れていた。キッチンへ行くと母さんが夕飯の支度をしている。

 

「優樹、お昼食べてないからお腹空いてるでしょ。すぐ出来るからちょっと待ってね」
「急がなくていいよ。おれも何か手伝おうか」

 

キッチンで皿を並べていると、リビングでは父さんが釣り番組を見ていた。
母さんが「つまみとビール持っていってあげて」と言うので持っていく。

 

「おお優樹、いいところに来た。今度一緒に釣りに行こう。見ろよこのハゼ。キレイだろう」
「ほんとだ。大きいね」

 

テレビを指して上機嫌の父さんが笑う。たまに父さんの釣りに付き合ってあげるけど、おれ自身はそんなに釣りが好きではなく、海を眺める方が好きだった。
最後に海に行ったのはいつだっただろう。二ヶ月前、父さんと行って以来かな。

 

「じゃあ今度の休みはあそこに行こう、城ヶ崎。遊覧船にも乗れるぞ」
「わかった。空けとくよ」

 

乗り物に酔いやすいから船に乗るのはあまり気が進まないが、父さんは船が好きみたいだから気合いで乗ることにする。
夕飯が終わって部屋に戻ると、着信がきていた。そういえば、最後に海に行ったのは孝太とだ。曇り空の海とカルピスウォーターの記憶がよぎった。

 

【着信あり 3件】

 

孝太からの着信だった。孝太にはLINEだけでなく、電話番号も求められ教えてしまっていた。
あの病室でかけていたんだろうか。何もない簡素な病室。唯一あるものといえば、枯れた花がささったままの花瓶ぐらい。あそこで過ごす夜はどんな夜だろう。

また携帯が鳴る。もしかして、おれが無事帰ったのか確認したいのかな。すごいあわてていたし、刈谷は案の定危ないやつだったし。
やっと着信音が鳴り止むと、ゆっくりと手に取る。でも、電話するわけにはいかない。もう関わんないって決めたんだ。

 

『おれは無事です』

 

これでいいだろ。要件だけ伝えれば関わったことにはならない。それがわかればあっちだって満足だと思うし。そうしてポチリとメールを送った。
少しして着信がきた。メールじゃなく着信だ。慌ててバイブに切り替え、何十回と震えた後にまた静かになる。

間髪入れずに二回目の着信がきたので、とうとう着信拒否をした。着信拒否なんてしたことないからわからないけど、拒否してるってことは相手に気付かれないんだよな? だって気まずいし、ばれたらキズつくじゃん……。
するとメールが届いた。

 

『本当に優樹なのか?』

 

何それ。確かに敬語で送ったし疑ってんのかな。

 

『本当だよ』
『なら、なんで電話出てくれないの?』

 

なんて送ればいいのか少し悩む。送れずにいたら、またメールがきた。

 

『優樹じゃないから、出れないんだろ?』
『おれは優樹だよ』

 

どう送ればいいのかわからず、それだけ送った。孝太から次にきた着信は拒否されて、音が鳴ることはなかった。
日曜も結構な回数の着信があり、月曜日も引き続き孝太の名前で着信欄が埋まる。こうして着信を無視するのは良心が痛むが仕方ない。

 

「優樹、どうした? 携帯見つめて」
「貴洋」
「げー、春山から着信きてるじゃん。うぜー」
「なんか、メール送ったらおれを違う人だって疑ってるみたいで……出た方がいいのかな」

 

貴洋が血相を変えておれの携帯を奪った。

 

「ばかっ、そんなん、お前と話したいからに決まってんだろ。出たらきっと、お前が脅えるようなセリフ言って、会わなきゃいけなくなるような用事にかこつけて、拉致られてヤられて殺されるぞ」
「そ、そうなの?」
「SIM変えた方がいいって。LINEもブロックしよう。今日はバイトで無理だから、明日一緒に買いにいこうぜ」

 

本当貴洋は頼りになる友達だ。そうしよう。番号を変えてしまえば、無視している罪悪感からのがれられるに違いない。
しかし放課後、携帯を確認すると今度は着信ではなくショートメールが届いていた。

 

『優樹、出ないつもりなら、あの写真をばらまくぞ』

 

あの写真?
何かあったっけ。ばらまくってどういうことだ。もしかして、ラブホテルのときの写真か?
そうだ、孝太はあれで脅してきたんだった。もっとも、薬を盛られてあんな写真なくても抵抗なんて出来なかったけれど。

 

『良いんだったらいいけど。印刷してそこらじゅう貼ってやる』

 

くそう、何て汚いんだ。だんだん、孝太のすることは悪気はないんだって思ってきたのに。強姦の件もせっかく水に流してあげようと思っていたのに。どうしていつもおれを幻滅させるようなことするんだよ。

 

『卑怯だぞ』
『卑怯でもなんでもいい。何で電話出てくれないんだよ』
『心配してくれるのはうれしいけど、本当大丈夫だから』
『信用できねえよ。刈谷は最低の野郎なんだぜ。優樹の元気な声、聞かせてくれよ。お願いだ。一言でいいんだ。オレ、心配で夜も眠れないんだ』

 

直後にまた着信が来たけど、やはり拒否されて音が鳴ることはない。
意を決して着信履歴を確認すると、静かにボタンを押した。プルルルとコールが鳴ったので、緊張して大きく息を吐く。

 

「優樹?」

 

孝太か? 耳元で囁くような甘く優しい声に、一瞬孝太だとわからなかった。それに、電話に出ないことをなじられるかと思ったので拍子抜けもした。

 

「うん」
「良かった……優樹の声聞けて」
「心配性だな。おれは何もされてないよ」
「うん……そうかもしれないけど、優樹の声聞きたくてたまらなかったんだ……何で電話出てくれないんだよ」
「それは……もう、関わらない方がいいんじゃないかって思って」
「それ、マジで言ってんのかっ?」

 

孝太は突然声を荒げた。

 

「お前に迷惑かけたことは謝る。すごい反省してるんだ。でも、もう二度と危険な目に合わせないから。お前の嫌がることもしないから。こうして普通に接してくれれば、オレ何もしないよ。だからお願いだ、縁を切るなんて言わないでくれ……」

 

今にも泣き出しそうな声で言われたので、胸がきゅうっと痛んだ。

 

「縁を切るなんて、言ってないよ……」
「だって、関わらないってことはそういうことだろ? 電話に出ないし会ったりもしない。メールだってそのうち拒否するんだろ? それが優樹の意思なの? 優樹ってそんな心ない奴なのか?」
「そんなこと……」

 

答えようとしたそのとき、ひょいと携帯を取り上げられた。

 

「貴洋」
「油断もスキもあったもんじゃねえな。いいか、優樹。こいつらは人の良心につけこんで、汚いことたくさんやってる奴らなんだよ。あたかも相手が悪いようにみせかけて、誘導尋問のように欲しい答えを導き出すんだ。俺がいなかったらお前、またえじきになってたとこだぞ。なあ、春山、俺の言ってること当たってる?」
「てめえっ、邪魔なんだよっ」

 

貴洋は通話終了ボタンを押してなかったようで、電話はまだつながっていた。
受話器の奥から孝太の罵声が聞こえる。貴洋はおれの代わりに携帯を耳に当てると「明日番号変更するから、もう二度とかけてくんな」と言い放って電源を落とした。

 

「これでよし。優樹、行くぞ」
「え」
「SIM買いに行くぞ。ほら、来いよ」
「明日じゃないの?」
「このままだと、俺のいないとき狙ってまたかけてくんだろ。あいつが油断してるスキにさっさと変えにいこうぜ」
「でも、何か、悪いよ……」
「いいって、バイトは仮病使うから」
「あ、いや貴洋にもだけど……孝太に悪くないか?」

 

貴洋は白けた顔でおれを見て、苛立ち混じりに吐き捨てる。

 

「お前さ、あいつともう関わんないって自分で決めたんだろ。それを俺が手助けしてやったのに、どっちの肩持つんだよ」
「ごめん、貴洋。そうだよな。おれが決めたことだもんな」

 

それでも、おれは釈然としない気持ちを抱えていた。あのとき聞こえた甘く優しい声、あれこそが孝太の本当の声な気がしてたまらなかったんだ。

 

 

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