無常の花・9

無常の花

無常の花・9

【第二章 鏡花水月 ~惑う花~ 第二話】

 

「優樹、どう? IPHONEの使い心地は」
「うーん、どうすればいいのか全然わかんない」
「やっぱ今買うならこれだよな」

 

SIMカードを取り替えるだけのつもりだったが、ギャラクシーからIPHONEに機種変更をしてしまった。
昨日は貴洋たかひろに勧められるまま変更してしまったが、あまり携帯に興味がないおれは別に何でもよかった。

 

 

「なんか、一生使いこなせる気がしないんだけど……」
「わかんなかったら俺に聞いて。あ、ちょっと貸してみて」

 

 

詳しい設定でもしてくれるのかと、新品のIPHONEを手渡した。
貴洋はおれのIPHONEを手に取ると、【連絡先】の欄をチェックしているのに気付いた。まあ、見られてもどうってことないし、特に気にすることはない。

 

「はい。消しといた」
「え?」
「あいつの番号」

 

見ると、孝太の情報が消えていた。そのまま移し変えたから残っていただけだったのに、貴洋は用心深いな。

 

「優樹さ」
「なに?」
「あいつと……いや、やっぱいいや」
「何だよ、言えよ」
「……あいつにヤられたりしてないよな?」
「えっ、何で」
「告られはしたよな? 短気そうだし強引そうだし。そのまま何かされてなかったかな、と思って。お前、優しさに付け込まれるとこあるからさ、同情心とかで」
「いや……でもあれは無理やり薬で……」

 

その言葉を聞いたとたん、貴洋の表情がこわばった。

 

「薬? というか、本当にヤられてたのか?」
「……」
「なあ! どうしてそんな目に合わされてあいつと話してられるんだよっ。いつだってそうだ! 少しは俺の身にもなれ!」
「ごめん……貴洋に迷惑かけるつもりはなかったんだ。今までも助けてくれてありがとう。これからは自分で何とかするから……」
「そういう意味じゃねえよ!」

 

貴洋は傷ついたようにこっちを見つめてきた。どうして貴洋がそんなに傷つかなきゃいけないんだろう。
無骨な手を頬に当ててふてくされたような表情を浮かべている。意思の強そうな瞳で心を探るように見られていると、取調べを受けている犯罪者のような気がしてきた。

 

「とにかく、あいつとはもう関わるな」

 

貴洋が苛立ったように言い捨てた。

 

 

携帯を変えてから三日。孝太からの連絡はなく、普通の大学生の日常を送っていた。孝太との出来事は、ゆっくりと意識の奥へ沈殿していく。そんな平和な日々に慣れた頃だった。

 

「校門の前に怖い奴がいる」

 

二時限目が終了した時点で、変な噂が流れ出した。

 

「さっき、警備員と一悶着あったみたいだぞ」
「今、警察呼んでるって」

 

胸騒ぎがする。もしかして、孝太なんじゃないだろうか。
その不安を見透かしたように貴洋が硬く拳を鳴らした。

 

「大丈夫だよ。あいつがもし侵入してきても、俺がボコボコにしてやっから」
「そんな、おれそんなん嫌だよ。なあ、誰か見た人いるか?」
「え、お前ら知り合いなの? ここの窓から見えるぜ」

 

ここの窓から見えるのは正門ではなく、外濠校舎につながる方のサブエントランスだ。そっと見下ろすと、やはり孝太らしい人影が見える。パトカーが一台来ていて、警察官に取り囲まれて何かを叫んでいるところだった。

 

「孝太……」
「やっぱり春山じゃん。はは、ポリ公に囲まれていい気味だ。でも大学にまで来るなんて本当うぜえな」
「やっぱり、何も言わないで機種変なんてしたからだ。誰だって嫌だよ、そんなことされたら……」

 

遠目から見ても、孝太がケガをしていて上手く歩けないことが分かる。松葉杖を使って立っているのがやっとといったところだ。
それでも、警察や警備員と混戦しているのを見て、ますます胸が痛くなってきた。

 

「おれ、行った方がいいんじゃないかな」
「ばか、殴られたいのか」

 

やっと警察に取り押さえられたようで、サイレンを鳴らしてパトカーは去っていった。おれは複雑な思いを抱えながらそれを見送った。

しかし、次の日も懲りずに孝太はやってきた。

 

「優樹、瀬川優樹ー! 出て来いっ」

 

フルネームで名前を呼ばれ、皆が一斉にこっちを見た。昨日の感じでらちがあかないと思ったんだろう。今日はなりふり構わず、おれをいぶり出す気だ。

 

「出てこねえんなら、オレとしたこと言いふらすぞっ、写真もばらまいてやるからな!」
「きみっ、また警察呼ぶぞ!」
「うっせー! 殺されてえのか!」

 

校舎の三階からでも充分聞こえる大声で脅しをかける孝太。怖くて、おれは息が詰まりそうだった。

 

「あいつ……俺、もう我慢出来ねえ」
「貴洋っ」

 

貴洋が階段を駆け降りる。おれは何がなんだか分からず、もうパニック状態だった。
孝太、叫ばないで、貴洋、待って……ケンカだけはやめてくれ。

 

「春山っ」

 

貴洋が一階に到着すると、孝太の動きが一瞬止まった。

 

「てめえ……優樹はどこだ!」
「うぜえんだよ。嫌われてんのが分かんないのか? 優樹が行きたくないっていうから、俺が代わりに来てやったぜ。嬉しいか?」
「てめえ、ブッ殺してやる……」
「やってみろよっ」

 

貴洋がにじり寄って、孝太の射程圏内へ入ると、お互いの拳がうなりをあげたようだった。遠くからで音までは聞こえないが、孝太も貴洋も吹っ飛んだ。
しかし揉み合ううちに、貴洋はマウントポジションを取られてしまい、孝太は馬乗りになって殴り始めた。警備員が慌てて止めようとするが、それも孝太はぶん殴った。

 

「貴洋っ」

 

たまらず叫ぶと、孝太はこっちを向いた。そして、貴洋の首を締めあげる。

 

「そんなとこにいたのか。降りてこいよ。こいつ、死ぬぜ」

 

おれは涙目になりながら階段を駆け降りた。一階に着くと、遠巻きに見ていたギャラリーをかき分け、貴洋と孝太の元へ駆け寄る。
貴洋は顔じゅう血まみれで、歯が何本か折れていた。孝太の右頬も赤く腫れていて、唇が血で真っ赤に染まっている。

 

「オレはお前に会うためなら何でもする。お願い優樹、嫌わないで」
「嫌わないでって言われても、嫌われるようなことばかりしてるじゃないかっ! 貴洋をどうしてくれんだよ……こんなに血が出てるし歯だって折れてるし、お前は、お前はっ、どこまで幻滅させれば気が済むんだよっ!」
「……」

 

おれは悲しそうな顔をする孝太に構わず、すでに意識を失っていた貴洋を揺さぶり起こした。

 

「貴洋、大丈夫か?」
「う……」

 

起きるやいなや、貴洋はポケットから素早く何かを取り出した。
太陽に反射する鈍色の物体……
――サバイバルナイフだ

 

 

「春山、殺してやるっ」

 

 

驚いて硬直する孝太の腹めがけて、刃が一直線に突き刺さる。
雲ひとつない青空の下。
音も何もなかった。
血しぶきは飛んだりしなかった。
ただ、目の前には顔を歪める孝太がいた。

 

「お前っ、今何したんだ?」

 

警備員の声に、ビクッと貴洋が反応する。静かに苦痛に耐える孝太は下腹部を押さえていた。

 

「そのナイフで刺したのかっ?」

 

貴洋の手とナイフには、べっとりと血がついていて、血生臭い匂いが秋風と混ざり合う。
ギャラリーが騒ぎ出し先生たちがやってくるけど、おれはただ、孝太と貴洋の苦しむ姿を見守ることしか出来なかった。おれのせいで貴洋が犯罪者になり、孝太が刺されてしまった。そんな事実を、今受け入れられる訳がない。
気持ちの整理が出来ないまま、遠くから誰かが呼んだパトカーのサイレンが聞こえてきた。

 

 

「……なーんちゃって」

 

 

かがんでいた孝太が明るい声を出した。
にんまりとおれたちに笑顔を見せて、しゃんと立ち上がる。
貴洋の手からナイフを奪うと、ケラケラと笑い出した。

 

 

「これ、血のりだよ。なかなか演技上手かったでしょ。じゃーな、優樹、貴洋、また遊ぼーぜー」

 

 

そう言って、びっこを引きながら校門の外へ出ようとする孝太。

 

 

「き、きみ、ちょっと待ちなさい!」
「すいませーん、遊びなんです、冗談なんでーす。なー貴洋!」

 

 

貴洋は放心状態でコクコクと頷いた。しかし、警備員が孝太を制止しようとする。おれは慌てて警備員と孝太を引き離した。

 

「警備員さん、孝太は足が痛いんだからっ、ちょっとどいて!」

 

おれは孝太を無理やり背負うと、駅の方へ駆けだした。急いで大通りのタクシーを拾うと、孝太を座席に座らせて道玄坂の、あの闇医者がいる病院の住所を運転手に告げる。
荒く呼吸をして、みるみる青ざめていく孝太の顔は、演技や血のりではないことを教えていた。

 

「優樹」

 

シートにもたれ、ぐったりした孝太が薄眼を開け、呼んだ。

 

「優樹……会いたかった……」

 

そう言って、車内で腕を引っぱられ唇を寄せる。
血の味のキスは少し頭を狂わせた。
唇についた血を拭き取ることもせず、タクシーが渋谷方面へ走り出したのを見送った。

 

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