See you tomorrow・後編

短編小説




散々弄られたあと、一人教室を出る。
汚された体を引きずりながら、郁は嗚咽を堪えて泣いていた。
下半身が痛む。一歩進むごとに物理的な痛みと心理的な痛みが交互に襲う。

 

『じゃ、また明日な。郁チャン』

 

樋口たちはそう言い捨てて、教室を出て行った。
また明日、というフレーズがこんなにも非情な響きを持ったことはあっただろうか。
もしかして、この先ずっとこんな風にいじめられるのかと考えたら、今すぐ窓から飛び降りて死にたくなった。

自分が女みたいだということは自覚している。
大きな二重瞼に、小さな鼻、ふっくらとした唇。頬はチークをつけていないのにほんのりと桃色だ。それが白い肌によく映える。元来の内気な性格も女らしさに拍車をかけていた。少しでも男らしくなろうと髪型を短くして、厳しいと有名な名門男子校へ入ったのだが、結局のところ何一つ変わらなかったということだ。

 

彼らと仲良くなったのは間違いだった、と気付いたのは入学してしばらくたってからだった。
樋口たちは入学初日から郁に目をつけていた。他のみんなと仲良くならないように、徹底的にこちらのグループに取り込み、始めは郁の親身になって相談にのってあげたりしていたのだが、もう大丈夫だと分かるといきなり突き放しにかかったのだ。
郁もそれが分からないほど馬鹿ではない。しかし、分かっても何も出来ない自分が情けなかった。愛想笑いをして、必死に嫌われないように取り繕う。それが性的な嫌がらせに発展したときでさえ、まだ金銭的な要求や暴行がないだけ運がいいと言い聞かせていた。

 

ふと、自分のものではない足音にびくりと震えた。
確実に郁の方へ近づいてくる。しかも早足だ。
こんな姿、もし先生に見られたら何か質問されるに決まっている。目は泣いて腫れているし、シャツのボタンはちぎられている。少し精液の匂いもするだろう。生徒であったとしても、何か噂をされるに決まっている。

 

郁は反射的に逆方向へ駆け出していた。
下半身の鈍痛が酷かったが、面倒なことは起こしたくない。そんな思いで必死に逃げる。
しかし、あろうことか近づいてくる人物も同じように追いかけてきた。
もしかして樋口かもしれない。まだ郁を苛めるつもりなのかもしれない。
そう考えて、恐怖に知らず知らずひゃっくりを上げながら泣いていた。

 

「待て、緑川」

 

自分の苗字を叫んだ声に聞き覚えがあった。高らかに凛と響く声だった。

 

「逃げるな」

 

恐る恐る振り向けば、やはり大賀がそこにいた。いつものクールな表情は変わらず、少し息だけが上がっていた。

 

「おお、が、くん」
「逃げてばっかいるなよ」
「ご、ごめ……」

 

大賀の真っ直ぐな瞳から、郁は目を反らした。汚された自分を見られたくなくて思わずしゃがみ込む。
郁は、自分が何をされたか大賀に知られることが恥ずかしくてたまらなかった。恥ずかしくて、辛くて、また涙がこみ上げてくる。

 

「うぐっ、お、大賀くん、どう、したの……? こっちに、何か、ひっく、用でも、あったの……?」

 

情けない嗚咽を隠せなかった。そうしたら、郁と同じ様に大賀がしゃがみ込んだので、郁はますます小さく縮こまった。

 

「用ならあったよ……もう済んだけどな」
「そ、そう、なんだ」
「ほら、帰るぞ」

 

こんなに大賀が優しくしてくれるのは、郁がされたことを知っているからか。そんな切なさに胸が痛んだ。

 

 

大賀は郁を家まで送っていった。遠回りになるからいいと、何度も郁は言ったのだが大賀は見た目よりも情が深い人間らしく、一人で帰せる状態じゃない、と着いて来た。

 

「あ、あり、がと……」
「ん……また明日。来れるか?」
「た、たぶん」
「じゃ、明日な」

 

大賀からその言葉を聞いたとき、郁はまた瞼の奥が熱くなった。帰ろうとする大賀の後ろ姿を見つめた。正面からは怖くて見ることができないけど、後ろ姿なら大丈夫だ。
ピンと伸びた背筋は堂々として威厳さえ感じられた。細身だけれど、その背中は大きく見える。無造作にセットされた黒髪は硬派な大賀によく似合っており、学生服の紺に、シルバーのウォレット・チェーンと、青いヘッドホンが映えた。踵を潰したローファーからは白い靴下がのぞいていた。

 

「緑川」
「へっ」
「逃げるなよ」
「あ、うんっ、逃げない、よ……」
「あいつらから、樋口から、逃げるな。つらいだろうけど」
「あっ……」

 

大賀は郁に戦えと言っているのだ。
今までそんなこと言ってくれた人なんていなかった。
みんな郁に関わらないようにしていただけだったのに。
そう言い残して去ってゆく大賀に、郁はたまらず駆け寄った。

 

「お、大賀くんっ、おれ、大賀くんみたいになりたいっ、一人でいても、へ、平気になりたいんだっ」
「そういうこと、言いたいんじゃねえよ……一人でいても平気になんてなるな。お前のキャラじゃねえだろ」

 

大賀は艶やかな黒髪を掻き、郁が悪く思わないように言葉を選びながら話す。

 

「お前が話しかけさえすれば、みんな会話もすりゃ相談にも乗るよ。俺だって、お前が話すときはヘッドホン外すよ。お前が話し終わるまでずっと。だから、もう少し立ち向かえよ」

 

大賀の目が怖くない。視線が痛くない。
もしかして、怖いって思っていたのは自分の弱さから来る錯覚だったのかもしれない。
郁は大賀の言葉を何度も頭の中で反芻していた。

 

「それに、一人でいたって笑えねえだろ? 俺なんか笑ってもキモイだけだけど、お前はそうじゃないから」

 

 

次の日、郁が登校すると、大賀の周りに樋口たちが固まっていた。

 

「昨日、郁チャンに会えたー?」
「どうだったー? 色っぽかったでしょ」
「勃起した? それとも、そのままヤっちゃった?」

 

ひゃひゃひゃという嘲笑に大賀は大きくため息をついて、ヘッドホンをつけようとした。それを樋口はひったくる。

 

「正義のヒーローぶってんじゃねーぞ? お前、郁のこと好きなのかよ。でも、残念だったな。あいつ、昨日散々ヤってやったぜ。ヒィヒィ言っちゃってさあ、可愛いのなんのって。んで今日もヤる予定ー。それが何かお前に関係あるー?」
「やめろ!」

 

そう言ったのは、大賀ではなく郁だった。
樋口に髪をつかまれて挑発されていた大賀の姿に、たまらず叫んでいた。
何で何も言い返さないんだよ。こんなやつ、大賀くんだったら、負ける気しないのに。
郁は鋭い目で樋口を見つめた。

 

「あ、お前、今なんつった?」
「や、やめろって、言ったんだ……」
「声震えてっぞ? お前どうしたの、何だか反抗的じゃん」
「お、おれのことなら、何言われても構わない。でも、大賀くんを巻き込むの、やめろ……」

 

樋口たちは一瞬呆気にとられていたが、馬鹿にするように大きく笑った。

 

「何言っちゃってんの、こいつー! 盾突く気かよ!」
「郁、放課後覚えてろよ。ヤり殺してやるよ」

 

背筋が凍るような思いだったが、郁は大賀の前から動かなかった。
チャイムが鳴りみんな席に着いても、郁は最後まで大賀を庇うように立っていた。

 

「緑川」
「大賀君、ごめん。おれのせいで変なこと言われて。おれがもっと、ちゃんとしてたら……」
「緑川。お前、やればできるじゃん」

 

大賀は郁を見上げて少し微笑んだ。
郁は、大賀が見せてくれた初めての笑顔で、先ほどの恐怖から開放されていた。

 

 

「郁、来いよ」
「い、やだっ」
「てめえ、ハブにされてもいいのかよ」
「べ、別にいいっ」
「友達いねえくせに強がってんじゃねえよ!」
「別にいい! だって、おれたち、本当の友達じゃないじゃないか」

 

その言葉に樋口の手が緩む。郁は樋口と距離を取ろうと、教室の壁へ背をつけた。

 

「一緒にいても、全然楽しくない。そんなの、友達じゃ、ない……それだったら、おれ、一人でいても、いい。そんで、他の友達、つくる……」
「作れんのかよ! そんなおどおどしてキョどってるお前なんか、誰も相手になんかしねえよ! お前は一生孤独のままなんだぞ、いいのかよ」
「お、おどおどしてるのは、樋口くんたちといたからだ……だからおれ、もっとちゃんと、変わりたいんだ。言いたいこと、ちゃんと言えるような……」
「お前、ほんとにどうしちゃったの? 大賀に何か言われたの? それともヤっちゃったの? じゃ、今度大賀のことボコろうかな。それが嫌なら抱かせな」

 

樋口は、郁の肩を引き寄せると深く口付けた。
そのまま押し倒し、シャツのボタンを乱暴に外してズボンに手を入れる。
抵抗されたので、樋口は郁の頬を思い切り叩いた。唇が切れて、郁の口内に鉄の味が広がる。
しかし郁は涙を流しながらも、真っ直ぐ樋口を見据えて呟いた。

 

「樋口くん、ほんとは、そんなこと、する人じゃない。おれが、このおれの性格が、そうさせちゃったんだよ……。だからこそ、おれ、変わらなきゃ……」

 

樋口は暫く郁を見つめていたが、やがて小さく舌打ちをして離れると足早に教室を後にした。

 

 

「何だ、やっぱここに連れて来られてたのか……」

 

放課後の空き教室。
樋口が出て行って暫くして、大賀が息を切らしてやってきた。

 

「大賀君」
「大丈夫か、何もされてねえか?」
「だ、大丈夫だったよ。おれね、ちゃんと、言えたんだよ。樋口君に、変わりたいって、言ったんだ」

 

郁は瞳を輝かせながら身を乗り出した。大賀は腫れている郁の頬に気付き「そうか、良かったな」と痛々そうに返した。自分が「立ち向かえ」と言ったことで、郁が殴られたんだとしたら、凄まじい罪悪感が襲ってきた。
しかし郁は構わず、興奮して捲くし立てる。

 

「これからは、おれ、思ったこと、言うようにしたい。大賀君のおかげで、おれ、変われる気がする。おれ、大賀君みたいになりたい。優しくて、強くて、そんな」
「……誤解すんな。俺、全然優しくなんかねえんだよ。本当は」

 

大賀は、郁の賞賛の眼差しから逃げるように顔を背けた。

 

「だって、助けてくれたり、家まで送ってくれたり、今だって、おれのこと苛められてないか、心配してくれたんだろ?」
「全部、今回が初めてなんだよ。今までの俺は、面倒なことには関わらない人間だった。人が困ってるのを見ても黙認するだけの、そんな最低な野郎だよ」

 

大賀は、放課後の教室で郁が苛められていたところに遭遇したことを思い出していた。
あのとき、自分は何もせず出て行った。助けるつもりなんかなかった。苛めなんて、苛められる方が悪いと思っていた。そんな蔑みと不快感を露わにしただけだ。

 

「でも」
「自分でも分かんねえんだ。何で、お前におせっかい焼いたのか。でも、俺だってお前のおかげで、自分でも人に優しくできることを知った。今までは、知らなかった」
「……」

 

二人は見詰め合った。
それからまた、大賀が何か言いかけたとき、郁はその開いた唇に自分の唇を重ねた。

 

「お前……」

 

二人の鼓動は早鐘を打っていた。今までにないほどドキドキしている。
大賀は、素早く郁から顔を反らした。それは拒絶というよりも、照れ隠しのためにだ。郁にもそれは伝わった。

 

「おれ、大賀君のこと、好き、なのかもしれない」
「はあ?」
「これからはおれ、思ったこと正直に、何でも言いたいんだ。だから、何度でも言う。おれ、大賀君のこと、大好きだ。その優しさも、強さも、かっこ良さも、クールなとこも……」
「恥ずかしいからやめろ」
「恥ずかしがり、なとこも」
「うるせえよっ」

 

頬を赤くして言葉を続ける郁を、大賀は抱きしめた。そして、そのまま言葉を塞ぐように、大賀は郁に口付けた。

 

「大賀、くん」
「ああ、くそっ、俺だって……」

 

大賀は郁と顔を合わせる代わりに、また抱きしめた。
郁は大賀のために変わろうと思った。
いつか、愛想笑いなんてしなくてもいいような自分に、心から笑えるような自分になりたいと思った。
不器用に、でも精一杯の優しさで包み込む大賀の腕の中で、郁は誓ったのだった。

 

【完】

 

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