きみのためにできること・後編

短編小説




ある夜、僕は陽子とゆうへいが小部屋へ一緒に入るのを目撃した。
そこの部屋は二人用の部屋で、知り合いの台湾人カップルが使用している部屋だった。僕は陽子とゆうへいが、その人たちとそこまで仲が良かったことを知らなかったので一瞬不思議に思ったが、そのあとキッチンへ着いて更に驚いた。
部屋の持ち主たちがキッチンでご飯を食べていたのだ。

 

「あれ? さっきゆうへいたちがきみたちの部屋を訪ねてるところ見たんだけど……」
「ああ、ゆうへいがね、さっき、部屋を貸してほしいって言ってきたんだよ」
「? なんで?」
「何でって、かなた、男なら考えてみろよ」

 

小指を出しながらにやにやされたが、僕は「そんなはずはない」と必死で思い込もうとした。確かに、陽子はゆうへいのことを気に入っているらしかった。でも、ゆうへいはどうなのか知らない。まさか、自分の知らないところで二人が付き合っているなんて夢にも思わなかった。

のどの奥がぎゅうっと締め付けられた。僕はふらふらのままその場から立ち去って、ご飯も食べずに寝袋にくるまった。

 

ゆうへいが戻ってきたのは1時間後くらいだった。

僕に「メシ食ったのー」「寝てんのー」と2、3回声をかけて、反応がないとわかると一人でどこかに行った。そして僕はそのまま寝てしまった。

 

知ってしまってからは、二人のそばにいるのがつらかった。自分がのけものにされているみたいだった。孤独に慣れることはできず、僕はずっとそうだったんだ。
二人が話しているのを見るたびに心が痛み、話しかけられても素直に答えられなくなった。
自分がここにいていいのだろうかとか、本当は二人きりになりたいんじゃないのかとか、卑屈な考えがどんどん浮かんできた。一人は怖かったけれど、逆に安心することも知った。

 

 

そんなときだった。

 

「……じいちゃん、が、ですか? いつ死んだんですか?」

 

日本からかかってきた電話は病院からだった。入院していたじいちゃんが昨日亡くなったとのことだ。

 

「あ、はい……じゃあ、戻れたら戻ります……ありがとうございました……失礼します……」

 

放心していると、そこにじっとゆうへいが立ち尽くしているのに気付いた。

 

「……聞いてた?」
「うん……。たまたま、ほら、シャワー浴びようと思ってっ」

 

そう言ってゆうへいは慌てて、手に持っていた青いストライプのバスタオルをぶんぶんと振った。今にも泣きそうな顔をしていた。

 

「日本語だったから、かなただと思って、風呂から上がったら卓球しようって言いたくて……日本、帰るのか?」
「う、う、ん……」
「なんで? 金ないなら貸すぞ」
「どちみち、おれ、ずっと、いなかった、し……知り合いの、おばさん、が、色々、やってくれるって……言うし」

 

途切れ途切れ話すのがやっとだった。全ての生きる希望が蒸発して、塵となって、抜け殻のような僕の入れ物だけが残っていた。しばらく立てなくてずっと座っていた。それも、頭を支える気力もなくてガクリと首が垂れた状態だった。涙を流す力すらなかった。呼吸すら、止めてしまいたかった。

 

いつまでゆうへいがそばにいたのかわからない。顔を上げたときには夕日が沈みかけていた。

僕はゆっくりと地面を確かめるように立ち上がり、遠くの畑へ歩いて行った。徐々に早足になり、悲しみを振り払うように駆け出す。

 

親が事故で死んでから、ずっと僕を育ててくれたじいちゃん。優しかったじいちゃん。夜中でも、僕が帰ってくるときには電気を点けていてくれたじいちゃん。いつも僕にありがとう、ありがとうって言ってくれたじいちゃん。他のことはボケて忘れても、僕のことだけは絶対に覚えていてくれたじいちゃん。忘れないでいてくれたじいちゃん。

ごめんね、僕は、じいちゃんのそばにいるのが寂しくて、怖くて、切なくて、最後まで一緒にいてあげられなかった大バカだ。

 

夕闇の中、広い広いリンゴ畑をがむしゃらに走った。何かを追いかけるように、それとも追われるようにか。

枯れ木を踏むたび足場が崩れ、何度か転びそうになった。そのたびに耐え、耐えて、足を踏ん張って、また地面を蹴って何事もなかったかのように体制を整えて進んでゆく。

転んでも起き上がればいいんだけど。そう、いっそ派手に転んでしまえばいい。そう思っていた方が楽に走れるだろう。

でも、僕は転ばなかった。そんな簡単には転べない。だって転ばないように生きてきたから。そうしないと生きていけなかった。その代わりに、涙が溢れてきた。いつのまにか目のふちいっぱいにたまった雫は、ふるふると視界を揺らして、頬を伝わずに地面に落ちた。ぼくはじっとうつむいて、零れるままにしていた。そしてぎゅっと目を閉じて、赤ちゃんみたいに嗚咽を上げて泣いた。

 

そうだ 今 ぼくは一人なんだ
本当にひとりぼっちになってしまった
誰も待っててくれる人はいない 帰る場所もない
僕の名前を呼んでくれる人はもういない

 

誰もいないリンゴ畑は寂しすぎた
でも 日本に帰っても同じなんだ

 

千切れそうに泣いても もう誰もいないんだ

 

 

辺りが闇に包まれたとき、僕はやっと部屋へたどり着いた。
すっかり体は冷え切っていたけど、すぐ部屋の中に入る気にはなれず、しばらくひとりでタバコを吸っていた。

 

「かなた! どこいたんだよ……探したよ……」

 

息を切らしながらゆうへいが駆け寄ってきた。手には携帯を持っていた。僕は泣きはらした目を隠すように俯いた。そして、なるべく明るい声を出すように努力した。

 

「なに、自殺したかと思った?」
「そ、そんなこと思ってねーけど、とりあえず心配になって……何度も連絡したのに圏外だし」
「電源切ってただけだよ」

 

「電話鳴るのが怖くて」なんて言えなかったけど、ゆうへいは様子で察したようだった。しばらく無言で突っ立っていたが、いきなり僕の肩を掴むと、顔を覗き込み叫んだ。

 

「かなた、オレ、力になれないかな」
「……」
「なんかあったら、何でも言ってくれよ。頼りねーかもしんないけど、いないよりはマシっつうか……自分で言ってて情けないんだけど……」

 

同情はいらない。
ああ、もう、なんかうざい。
そう言う奴に限って、ほんとに何もできないんだよ。
頼りになんかできるわけないじゃないか。
僕とゆうへいとじゃ、境遇が違うんだから。
それに、これ言われても同じセリフ言えるのかよ、偽善者が。

 

「……じゃあさ、ひとつ、聞いていい?」
「なんだ?」
「お前、陽子と付き合ってんの?」

 

僕が無表情で見つめると、ゆうへいは「何で知ってるんだ」とでもいうように、口をパクパクさせた。ほら、こんな奴が僕に何かしてくれるわけがない。

 

「見たんだ。お前と陽子が二人部屋に入ってくところ」
「あ……」

 

僕がなおも追求すると、ゆうへいは観念したかのように顔をゆがめた。

 

「ち、違うよ! 陽子とは、あれは何でもなかったんだ。ほんとに、何だかわかんないうちにああなっちゃったんだ。あのとき、ずっとお前の顔が浮かんだ。ああ、お前に何て言い訳しよう。お前があいつを好きなのは知ってるのにって」
「御託はいらないよ。ヤったんだろが」
「……セックスはしたよ。でも、これでお前とあいつがくっつくことはないんだって、そんなことばかり考えてた……」

 

陽子。

 

きみといると、あんなに心安まったのに。

 

孤独じゃないんだって思えてたのに。

 

「かなた、ごめん……だってオレ……」
「お前は! サイテーだよ!」
「オレは……本当は……」
「まじ、最低……」

 

よくも、そんなひどいことをこの状況で言えるよな。
これだから、何も考えてないやつは嫌なんだ。
僕がゆうへいを残して部屋へ戻ろうとすると、肩を捕まれた。

 

「さわんな!」
「聞いてくれよ! だってオレ、お前のことが好きなんだよ!」
「はあ? どういう意味だよ、わけわかんね……」

 

振り向いたとき、ゆうへいの唇が触れた。僕と同じくらい冷え切っていてカサカサしていた。捕まれた手首も飛び跳ねるくらい冷たかった。ずっと外にいたのだろうか。

 

「こういう意味だよ……」
「……」
「だから、つらいときは、オレに言って、ほしい。オレにできることなら、何でもするから」

 

混乱して、なにがなんだかもう……。

 

「訳が……わかんねえよ! お前といると、すげえ孤独感じるんだよ! お前なんか、大嫌いだよっ!」
「なんでそんなに孤独にこだわんの? 別に、普通じゃん! 人は結局のところみんな一人なんだよ! 親がいる、いないにしろ、みんな孤独なんだよ!」
「お前には、本当の孤独ってもんがわかんないんだ! 世の中に一人取り残された気持ち、知ってるか? おれが生きようが死のうが、殺そうが殺されようが誰も気にしないってことだよ? 誰も涙なんか流してくれやしない。ここでこのまま死んでも、日本で死んでも同じことなんだよ……」
「……」
「だからおれは、すげえつらいんだ」

 

僕等は、ただただ見詰め合った。
そしてゆうへいは、崩れそうな僕のからだをきつく抱きしめた。

 

 

――ほんとはオレ、だましだまし生きてきたけど女がダメで、それなりに付き合ってもきたし、セックスもできるけど、好きになるのはみんな男だった。でも、そんなのおかしいじゃん? だから、もちろん告白する勇気もカミングアウトする勇気もなくて、このまま一人で生きていこうと思ってたんだ。

でも初めて、オレ、本当の自分の気持ちを伝えることができた。
……ごめん、今お前、大変な状況なのに、忘れてもらっていいから――

 

朝起きると、ゆうへいからメールが届いていた。
見ると、荷物もさっぱりなくなっていた。
慌てて陽子が部屋にきた。陽子にもメールがきていたらしい。

 

「かなた、ゆうくんが……」
「ああ……」

 

あのバカは、きっと、別なところで戦っていたのかもしれない。
もしかしたら、あの能天気さも、バカっぽさも、全部演技だったのかもしれない。
いつも、何かに脅えてここまで生きてきたのかもしれない。
ほんとに孤独だったのは、あいつだったのかな。

 

「バッカじゃねえの……」

 

何でお前がいなくなる必要あんの?
お前にできること、何もないわけないじゃん。

 

そしてその夜、僕は日本行きのチケットを予約した。

 

 

じいちゃんの葬式は密葬だったけど、それでも近所の人とか病院で知り合った人が焼香しにきてくれた。じいちゃんは、みんなにも優しかったんだろう。来る人は自分だけかと思っていたので、嬉しかった。

お棺の中にいるじいちゃんはとても穏やかな顔をしていた。最後、家を出るときに見せてくれた笑顔と変わらなかった。あのときも、じいちゃんは「いってらっしゃい」と出勤するときと同じ様に見送ってくれた。まるで、すぐ帰ってくると思っているように。

 

「かなたくん、何か出来ることがあればおばちゃんとおじちゃんに言ってね」

 

死んだ母さんのお姉さんが遠くから駆けつけてくれて、葬式などすべて段取りしてくれた。

不思議と悲しくはなかった。じいちゃんの安らかな顔を見ていたら、悲しんでなんていられなかった。最後一緒にいられなかったことだけが唯一後悔だ。

向こうから、また一人焼香を上げに来る人がやってきたようだ。僕は深くお辞儀をする。

 

「こんにちは……」
「こんにち……は?」

 

髪の毛が黒かったので一瞬分からなかったが、確かにこの顔は

 

「ゆうへいっ?」
「か、かなた! 何でここに……」
「それはこっちのセリフだろ!」

 

お経を読んでいるお坊さんが咳払いをしたので、僕等は外に出ることにした。

 

「ゆうへい、お前、ほんとにあのゆうへいなの?」
「ああ。髪染め直してきたんだよ。お葬式だもん」
「にしても、なんでここがわかったんだよ!」
「病院の人から教えてもらって……」
「お前がどっか行ったのって」
「……ここに来るためだよ」

 

ゆうへいは所在なさそうに顔をきょろきょろとさせている。恥ずかしがっているようにも見えるし、怒っているようにも見える。僕は滲みそうになる涙をこらえて、ゆうへいのスーツの袖を引っ張った。

 

「ばか、何でお前が」
「オレにできること、これくらいしか、ないから」

 

僕が「ありがとう」というと、ゆうへいはさめざめと泣いていた。

ゆうへいは、僕が葬式に行くのを怖がっていることを知っていたのだろうか。
本当は行かなきゃって思ったけど、その瞬間、襲われるであろう孤独感が恐ろしかった。いつも笑っていたじいちゃんがもう笑わないなんて、どうして信じられるだろう、耐えられるだろう。

でも、人の死は抗えないもので、どうしようもないものなんだ。
それは僕が生きていること、ゆうへいが男であること、それは変えられない事実であり、それを受け入れていかなきゃいけないのと一緒なんだ。

 

「寂しさとか、悲しさとか、本当は怖くないんだよな。みんな誰だって持ってるし、それが当たり前なんだもんな……」

 

ゆうへいも、陽子も、もしかしたら、ファームで出会ったみんなだって、僕よりも深い悲しみを背負っているかもしれない。強くなんてならなくていい。みんな同じなんだ。

 

「肉じゃが、じいちゃん好きだったから、お供え用に作ろうかと思うんだけど……」

 

ちらりとゆうへいを盗み見すると、彼は涙目でも、ちゃんとこっちを向いていた。

 

「お前も、食べる?」

 

ゆうへいは「うん」と頷き、「じいちゃん、喜ぶね」と笑った。

 

【おわり】

 

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